ゐろは鍼漢院は、院長の池内が10年以上の臨床経験の中で、一心に学んできた知識や技術を表現し、ご縁のある患者さんに提供するため、2009年に開院されました。

本当に多くの方に支えられ、今年で開院9年目となりました。

この道に入るきっかけ

私がこの道を考えるようになったのは19歳の時です。
将来自分が何をしたいのかなかなか定まらず、私なりに色々悩み続けた時期があります。

自分は何をしたいのか、何を為すべきなのか。志が見つからないもどかしさ。

見聞を広めるために図書館にこもり、休日はひとり旅やボランティア活動など、全て己が為、自分探しのために多くの時間を費やしました。

平和な日本に五体満足で生まれ大変贅沢な悩みでしたが、その時は自分の生きがいと存在意義をどう見いだせば良いのか解らず、本当に苦しかったのです。

それを見かねた両親から、一冊の鍼灸学校のパンフレットが手渡され、「こういう仕事もある。おまえには向いていると思うから一度考えてみてはどうだ。おまえの喘息や膝の痛みは鍼でよくなったんだよ。」

と、子供のころの持病が鍼灸治療により改善したことを告げられ、おぼろげながらに病院…と記憶していた場所が、鍼灸院であったことを知ります。

この道を志す者は、自身の病気を鍼灸により克服したという経験がきっかけとなっているケースが少なくありません。

自らの闘病生活をへて鍼灸の効果を体感し、独自の健康観や早い者では死生観までも確立されています。

その様な者の志は非常に高く、例え初学者であったとしても、その鍼灸師をめざす姿勢には確たる覚悟を感じさせられます。

それでは、私の場合はどうかというと、少し…いや随分異なっていたようです。

正直、鍼灸を受けていた記憶自体が曖昧で、単純に「自分が受けていた鍼灸とはなんだろう?」といった漠然とした興味からのスタートでした。

間もなく、進路を選択せざる負えない時期が迫り、そのころ放映されていた鍼灸師を主人公としたドラマの影響も合わさって、鍼灸学部のある大学への進学することとなります。

確たる決意もなく、今思い返せば恥ずかしい限りです。

しかし、小さな迷いのあるこの一歩が、今現在治療家冥利の日々を過ごす私にとって貴重な一歩となるのです。

 

勉学に励んだ大学4年間

鍼灸大学入学後は、今まで触れたことのない東洋医学独特の考え方や難解な用語に苦労しながらも、少しずつ鍼灸医学の奥深さと魅力に引き込まれていきます。

さらに

  • 学びの場が京都の山奥で目移りするような娯楽がなかったこと。
  • 学校が当時「鍼灸科」のみの単科大学であったこと
  • 志の高い学友に恵まれたこと
  • 年に二回行われる定期テストは、それぞれ20科目に及びこれをパスしなければ国家試験はおろか進学すら許されないという現実

これらの好条件が合わさり、在学中の4年間は鍼灸にドップリとつかった学生生活を送ることができました。

 

これぞ天職!4年目にして迷わず!

無事に国家試験に合格し、大学の付属病院で臨床自習が始まった大学4年生の時です。ここで私に一つの転機が訪れます。

※私が在学していた鍼灸大学では国家試験の受験資格は順調にいけば在学3年目で得ることができました。

臨床実習で私が担当した患者さんから言われた「本当に楽になりました。ありがとう。」という一言に、全身の鳥肌が立つような感覚を覚え、鍼灸師という仕事が自分にとって天職であると確信することができたのです。

一言の影響力を学んだのもこの時です。

これを機に勢いがつき、残りの学生生活は国家試験の時以上に寝る間も惜しんで勉強しました。まるでお腹をすかした動物のように。

東西の医学が融合する場へ

東洋医学と西洋医学の二つの観点から治療を行う実力をつけるために、長野県佐久市の水嶋クリニックに就職。

一年目より年間7000人以上の治療に当たり、個人の鍼灸院ではなかなか経験することのない様々な経験をしました。末期癌や、パーキンソン病をはじめとした、難病奇病の方への治療。

なかなか患者さんの役に立てず、自分の技量不足に落ち込むこともありましたが、それ以上に「早く上達したい。」という一心で毎日を懸命に過ごしました。

また、ここでは自分がかつて患っていた喘息や膝の痛みで悩む患者さんを治療する機会にも恵まれ、自分の職業の尊さとルーツを再認識していきます。

修業時代のつかの間の休日に故郷を想う

生まれ故郷を離れて7年目。このころからでしょうか。

それまで、さほど意識をしてこなかった故郷の千葉県我孫子を思うようになり、里帰りをする度に、地元手賀沼の畔で鍼灸院を開く自分の姿を想像するようになりました。

そして開院

その後、鍼灸専門学校教員免許取得、鍼灸院勤務を経て、2009年、地元我孫子にて往診専門の鍼灸院ゐろは鍼漢院を開院。

雨の日も風の日も、治療の依頼があれば、我孫子を拠点として自転車にまたがり、どこへでも向かいました。時には、県境の利根川を超え茨城県までいったこともあります。

次第に往診ではなく、通院を希望する方も増え、その声をうけて自宅を急遽開放。

八畳の和室に布団一枚を引いた、ゐろは鍼漢院が新たにスタートしました。

このとき嫌な顔一つせず実家の一室を提供し、静かに応援してくれた両親には、今でも本当に感謝しています。

念願の手賀沼湖畔に移転

2011年開業3年目の夏。結婚を一つの節目に、かねてより思い描いていた手賀沼の畔に移転。

今現在は病気で苦しむ人の助けになりたいという思いで。毎日一本の鍼、一つまみのお灸を手にしています。ご縁のある全ての人が健やかな日々を過ごせるよう、手賀沼の畔より願いを込めて施術させていただいております。

ゐろはの由来

いろはには母という意味があります。

当院を訪れてくださったご縁のある患者様に対し、親の様に親身な気持ちで、寄り添い治療したい。との想いから、ゐろはを屋号にかかげました。

また私を育んでくれた、両親や我孫子の大地への感謝の気持ちもこめています。

ゐの文字をあてたのは、少しでもみなさんに覚えていただきたいというちょっとした、遊び心からです。